菅内閣への不信任決議案が提出されました。民主党内の一連の流れからは、菅首相が党内をまとめきれない様相がうかがえます。政治の対応も党内の亀裂がもろに出た感じで、決議案を主導した前の政権与党に負けず劣らずの体たらくに映ってしまいますがどうでしょうか。それにも増して、露骨な権力闘争に打って出た野党には言葉もありません。この時期に出すものなんでしょうか。こちらにかえって不信任を抱きます。人のことはよく見えるが、自分のことは見えているようで何も見えていない、と仏の鏡は教えてくれていますが・・・。
さて、今日から6月です。大遠忌も一段落して少しは余裕が出るかと思いましたが、あに図らんや、やるべきことがたんと控えていてこころはそう易々と休めません。写真のバスからの眺望を思い出してリフレッシュいたしましょう。
昨夜、京都から帰ってきました。大遠忌法要で二日間法話を担当しましたがその内容はさしおきまして、期間中に感じましたのは、老若男女を問わず佛光寺派の総力を挙げて営んでいる法要なんだという思いが湧いたことでした。特に若い人たちが生き生きと動く姿にこちらも身を動かされるようでした。中でもとりわけ感銘を受けましたのは法要そのものです。ご老体に鞭打ってお勤めされる御門主様の姿に頭が下がりました。人間が人間と自覚できる南無阿弥陀仏の教えを自分も及ばずながらお話しさせていただき、法要の歯車の一つとして関わらせていただいたことは、とても光栄なことなんだと思えました。自分の役目が終わったからかもしれませんが・・・。
本日はその法要団体参拝で新潟の第一陣が出発しました。明後日はわれわれ第二陣の出発となります。自分の上では大遠忌法要はすでに終わったような錯覚を覚えるのですが、今度は別の神経を使わせていただくこととなります。これがやっかいなんや。本山でのおつとめ出勤以外は、ほぼ添乗員並の役目を負うからです。疲れが取れないまま、明後日の朝6時に今月3回目の京都へ旅立ちます。
写真は21日の京都佛光寺大遠忌の様子です。
ここのところ本来業務が忙しくなりましてニュースに疎くなっていましたが、そんな間隙を縫ってウサマ・ビンラディン容疑者が殺害されたということをテレビでみました。その容疑は言わずと知れたアメリカの同時多発テロを主導したというものです。その行為は許しがたいものですし、大いに断罪されるべきものだと思いますが、米海軍特殊部隊が暗号名「ジェロニモ」と呼び実行された作戦で、まるで鬼の首でも取ったかのようなアメリカ社会の反応にも驚きました。オバマ大統領は「我々は彼を仕留めた」とコメントしました。なんとも言えぬ違和感を覚えてしまうのはどうしてなのか。 大震災の教訓を持ち出すまでもなく、人はお互いに持ちつ持たれる関わり合い、支え合いながら生きているのに、と思うからなのかな?
福島第1原発から半径20キロ圏内が、今日から放射能の警戒区域に指定されました。原則立ち入りが禁止され、違反に対しては法的罰則も科せられるという内容です。国の説明は「どうかご理解を」という言葉で締めくくられています。理解などできましょうか。聞きようによっては、「どうか文句を言わずに従ってください」とも受け止められます。
今の現状からして、立ち入りは困難なことは被災区域以外の者には理解できますし、やむを得ない措置と思います。でも、実際に散り自利ばらばらに散らばって避難しているみなさんにとっては、簡単に割り切れることではないとも思います。理解しがたく、受け止めがたい現実、行き場のない憤り、そして不安一杯の心情をどうか関係機関のみなさんは少しでも汲み取って施策を進めていただきたいと思います。どうかご理解を。
原発の放射能漏れは、思わぬ風評被害をもたらしています。それは野菜類や魚介類に止まりません。人間にも及んでいることに憤りとともに悲しみを覚えます。わが身可愛いい人間の本質が如実にあらわれているように感じます。それが悪いということではありません。自覚があるかないかです。と、わが身可愛い自分が言ってもアカンかなあ。
明日は照瑞寺様の称名講です。7ヶ寺の法中でそれぞれ勤められる法座ですが、また今年も始まるなあという感慨を覚えます。照瑞寺様では毎年、地元で取れた旬のものを昼食に出されますが、今年の春は寒い日が続きましたので、筍はまだいただけないと思います。東北地方は日本の食を支えている人たちが多くいらっしゃることを知りました。これから復活されるみなさんを微力ながら支えたいと思います。漁業関係のみなさんには、また写真(新潟寺泊)のような風景が来ることを願っています。
東日本大震災から一ヶ月の今日の夕方5時過ぎに、福島県浜通りを震源とする地震(余震?)がありました。福島、茨城では震度6弱を観測した地域もあり、死亡者も出ているようです。三条市もかぎりなく震度5に近い揺れを感じまして、恐怖を感じてしまいました。その後も大小の揺れが頻繁に続いておりまして、ど~にも止まらない状態です。困っちゃうな~・・・と冗談を言っている場合じゃないのですが、我々の地域はともかくも大震災被災地のみなさんの心情を慮っております。大自然の前には、ほんとうに人間の知恵など無力です。つくづくとそう思います。
本日は、公務の部会の小部会を開き、次年度の計画案の骨子を作成しました。ここでも話題はやはり地震関連のものとなりました。参集したみなさんの職業はさまざまですが、それぞれの関わりの中で被災地や被災者との何らかの関わりを持つ人たちばかりでした。ある社長さんは、福島の被災地域の知り合いにたのまれてガソリンを運ぶのだそうですが、それがスムーズには行かず、さまざまな面で憤っていました。
その公務に関連して、年に数回の研修会の会場として使わせてもらっている三条市の福祉センターが、大震災被災者を受け入れる施設となるという情報がありましたので本日確認しました。するとすでに本日到着されたという返答とともに、いつもの会議室も使用されるとのことでした。こればかりは致し方ありませんので、今後は会場探しも仕事の一つとなりそうです。
新潟県では、被災されたみなさんを数多く受け入れると県知事さんが表明しています。近年、新潟県内で起きた水害や地震の時に全国各地から受けた恩恵を今こそ返すときなのでしょう。恩という言葉の響きを今更ながら感じます。
今日は昨日の温かな陽気から一転、寒くなってきました。夕方からは雪が混じってきましたが、東北地方の被災地のみなさん大丈夫かなあ。心が痛みます。
さて、今日の午後、新潟市に住む次男を車で三条から送りました。車の後部座席が一杯になる大きな荷物がありましたもんで。新潟亀田ICの近くなのですが、そこには巨大なホームセンターと巨大なショッピングモールがあります。平日ではありましたが、ホームセンターへ入ろうとする車で、少々渋滞していました。 帰路、事務用品を買うために地元三条のホームセンターに寄りましたが、そこでも駐車場が一杯になるくらいのお客さんでした。店内は節電のためか照明が半分に落とされていましたが、人の数はとても平日とは思えない賑わいです。どこかのおじさんが店員さんに「懐中電灯ねぇかね(ないですか)」と尋ねたら、「すべて売り切れています」という声を聞き、やっと悟りました。大地震の後ですし、まして明日から新潟県内も計画停電が実施される可能性があると発表されたからですね。例外的に、地震被害のあった十日町、津南と離島の佐渡、粟島は実施されないとのことですが。
新潟県は東北地方ではないのですが、電力会社はなぜか東北電力なのです。完全に実施と決まったわけではありませんが、明日の午前9時から12時までの3時間が予定されています。正式には明日の午前8時に発表とのことですが、今しきりに三条市の防災スピーカーから市の広報が流されています。甘んじて受容いたします。
ところで、先ほどホーセンターでの買い物は今必要な事務用品でしたが、なぜか乾電池も買おうという衝動に駆られて売り場に行きましたら、普段は溢れんばかりに置いてある棚はすっからかんでした。アチョー!最後はやはり、わが身のことだけを考える人間がその棚の前にいました。
新潟県三条市では、今日(14日)も時折小さな余震があったようですが、日常の営みを続けられる状態が保たれております。しかし、個人的には常に大地震と大津波に襲われた地域のことが脳裏から離れません。
報道各社により今回の大地震の名称が、東日本大震災だったり東北関東大震災だったりしていますが、いずれにしても空前の、未曾有のという、かつて経験をしたことのない大災害だということを否が応でも植え付けられます。どこのテレビ局だったかわかりませんが、津波に襲われ被災された40代と思しき女性が夫と娘さん二人が生き埋めになったと思われる場所での救出作業を見つめながら、「独りぼっちになっちゃうよ」と泣き崩れる姿を見ました。私を最大限支えてくれているのは、一番身近な家族なんだと痛感させられました。悲しみの大きいほど、そのつながりは太いものだったんです。その深い悲しみの中から、なんとか身近な人とのつながりを見出してもらいたいと切に念じるばかりです。惜しみない支援をさせて頂きたいと思います。