新潟教区主催の声明講習会に参加してきました。先月と合わせて2回目でしたが、なんでこの時期に立て続けに開催されたかというと、5月18日に勤められます新潟教区お待ち受け大会に備えてという意味合いがあったからです。でも、それだけではなくて、日頃の声明をチェックすることが大切な目的だったと思います。講師の先生が仰るとおり、気づかないところでおろそかになっているところが多々あるもんだと感じました。自分ではまともにやっているつもりなんですが・・・。声明にせよ、法話にせよ、他人様の評価(査定)はきびしいものがあります。そのきびしい声が本人に届いていないことが問題なのかもしれません。
先日、親戚筋のお通夜に普通の喪服姿で参列したことを記しましたが、ご導師さまは三条市外の浄土真宗の方でしたが、その声明たるや天然エコーがかかったような音色に加えて音程が安定せず、いささか聞き苦しさを感じました。ご当院さまと二人で勤められていましたが、ご当院は自分の音程と基本に忠実な声明で安定していました。それでなおさらご住職の声明が際立って聞こえたのかも知れません。そしてご法話はよどみなくお話しされましたが、何か一方的で心に響くものが感じられませんでした。
と、こんな感じで、いやもっと辛らつな批評がなされているんだろうなあ。声明講習を受けて、ふと感じたことを記しました。他人様への批評はきびしく、自分にはとても甘い査定・・・。それが自分だとは思いにくいことぜよ。
写真は本日の会場元のお稚児さまです。父親似にているなあ。