昨日は、徳誓寺婦人会の講師として30年近くお話しを頂いている本願寺派布教使の高橋純勝師の、布教使実働50年の法要に出席しました。布教でご縁のあるみなさんが主に呼ばれたみたいですが、単に布教使資格を50年有したというものではなく、ピーク時には年間200日以上家を空けていたというお話しもありました通り、中身の濃い年月であったということがうかがえました。最後の挨拶は、長年の布教を通しての感想として、「住職自らが聴聞しているところは法義が繁盛している。」というものでした。厳しいですね。そうでないところはアカンということです。若輩ながら、同じような感想を抱きます。それにしてもあの場で堂々と仰るというのは、だてに50年間多くの法座を勤めてはいないなというものです。さて、筆者は本日、梵行寺さまの初お講でお話をしてきました。住職自らも聴聞され、確かに法義が繁盛しています。それでワシはどうなんだと問われると・・・・。聴聞はさせて頂いてはいますが、法義のほうはどうも・・・。
ところで、昨日の帰りは久々に長岡駅から信越線のローカル電車に乗り三条駅まで来ました。長岡駅始発の新潟行き電車は、長岡駅ホームですべてのドアが閉められています。発車まで時間はあるし、乗客はかなり乗っているし、どうやって車内に入れるのかとものすごく不安な気持ちになりましたが、後から来た若いお姉さんがドア近くのボタンを押すといとも簡単に開くではありませんか。車内保温のためか、冬場はこのような方式になるようです。イヤー、まいったまいった。そして三条駅に着いてからは20分かけて歩きました。時折雪が吹き付ける寒さではありましたが、震災被災地のことを思えば何も苦にはなりませんでした。不思議です。