本日は公務の小部会を自分ところを会場にして行いました。行いましたと大上段にかまえて言うのは、自分が責任者だからです。せっかく会計業務から離れられたのに、これじゃあんまり変わりないじゃあーりませんか。長になれることを喜ぶ人もいるのですが、自分はまったくそんな気が起こりません。煩わしさを嫌う気持ちがはるかに勝っているからだと思います。どっちに転んでも煩悩に変わりありませんが。
さて、来年は親鸞聖人の750回大遠忌です。新潟でも団体参拝者を募って京都へ行くことになっております。筆者はその世話をすることに専念する覚悟でおりましたところ、思わぬ依頼が飛び込んでまいりました。自分の力量をはるかに超えるものに思えるもので、日程的にもきびしい面があって渋ったのですが結局引き受けました。依頼主は喜んでもらえると思っていた節があり、こちらが煮え切らない言葉を発したせいか「あれっ、喜ばないんですか?」ときたもんだ。「よろこぶべきこころをおさえて、よろこばせざるは、煩悩の所為(しわざ・振る舞い)なり」(『歎異抄』第9章)とあります。煩悩の「煩」はわずらわしいということなんですね。ちなみに、親鸞聖人は煩悩について「煩は、みをわずらわす。悩は、こころをなやますという。」と『唯心鈔文意』という書物に示されています。無明煩悩とも言われていますが、やけに引っかかるなあ。
写真は佐渡のトキを襲ったとされるテン(剥製)です。煩悩ではなく本能で行動したのでしょうが、今や天敵扱いです。テンだから仕方ないか。