蒸し暑さの中、昨日の夜に恒例の「きりんの会法話を聞く集い」を開催しました。講師の細川好円先生の法話の中に「ゆでガエル」の話がありました。鍋に入れた熱湯にカエルを入れるとたちまちに飛び出して助かるが、常温の水の中に入れて徐々に暖めていくと、カエルは居心地がよくなるのか飛び出さずに最後はゆであがってしまうというものです。ネットで調べてみますと、ゆでガエル理論なる言葉もあり、主に経済の環境変化への警鐘として使われています。
カエルは変温動物で、温度の変化に対応していけるものを持っていますので、水温の上昇に難なく対応できるのでしょうが、それが徒となり、知らないうちに沸点に近づいたときにはもはや手足が動かず、文字通りゆでがエルになってしまうようです。気づいたときにはもはや対応できないことの喩えです。細川先生のお話は、今の私たちの生きる環境も、ゆでガエルの方向に進んでいるというものでした。それが実感できないのは、私たちの感覚が麻痺しているからなのでしょう。具体的には、勿体ない、おかげさま等々の感覚が日常から消えているということです。日本の残飯の排出量も紹介され、世界で飛ぶ抜けた量に驚きました。
その後の懇親会は、先生は残念ながら米国から客人たちが来るというので帰られましたが、参加したみなさんは大いに盛りあがりました。心なしか残飯が少なかったなあ。ところで今日は亡き犬の四十九日にあたります。お夕事に読経しましたところ、鼻を真っ赤にした人物が目に入ってきました。かみさんですが。